京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

塾・家庭教師時代① ー 地元の塾で経験を積む

私は5年ほど銀行に務めました。

銀行時代は、まず大阪、次に東京で勤務し、その間はすっかり家庭教師業から離れていました。

銀行時代、私の上の世代は学生運動の世代でしたので上司には型破りな人が多く、今から考えられないような職場環境だったと思います。私は主に外国為替とシステム部門にいて、責任が伴う業務ない用意でしたが、気骨に溢れた同僚たちととても刺激のある毎日でした。

ここでも面白いストーリーがありますが、一旦割愛しその後の話に行きたいと思います。

 

銀行をやめて、家庭教師や講師をするために京都へ戻ってきました。

そこで友人の紹介から最初は小さな塾にお世話になりました。いわゆる地元の塾という感じのこじんまりした塾でした。メインは小学生・中学生を中心に指導し、高校生向けもおまけでくっついていたので、私はその宿においては実験的に高校生の指導も任されていました。

 

そこで私は初めて塾講師としての授業の仕方について、厳密な研修を受けました。それは指導の中身ではなく、どのように振る舞うかということです。

板書の書き方・レイアウト、色の使い分けや講義中の立ち位置や身振りに至るまで、非常に細かったのを覚えています。

これまで学生時代に行っていた家庭教師も予備校講師も、授業に関してほとんど私が我流のやり方でやっていました。指導の中身についてはかなり結果も伴っていたので自身を持っていましたが、授業の見せ方についてはそれほど意識したことはありませんでした。

ここで教えてもらったことは、今でも私が指導を行う糧になっているなと感じています。

 

講師を長年やっていて思うのは、一見優秀な講師、つまり非常に高学歴で指導科目への理解度が非常に高く、授業自体も大切なポイントをおさえている、そんな講師でもあまり人気が出なかったり、指導が長続きしないということがよくあります。

そういった場合、単純に生徒と講師のタイプのミスマッチ(性格や温度感など)ということもありますが、講師自身の問題であることも多いです。

つまり授業がつまらなく感じてしまっているのです。授業内容には問題はありません。原因は、伝え方がまずくて、わかりずらかったり、退屈したり、魅了がなく興味を引けないのです。

 

しかし一方で、そういった「一見優秀そうな」講師は避けるべきとは思いません。むしろ、京大や東大、医学部など最難関を目指す学生であれば、そういった先生が必要な場合もあります。

大学院まで学問を真剣に取り組んで来た方は、やはり一味違います。高校レベルの学習というのは、正直学問の中ではほんのイントロダクションです。学問にがっつり取り組んできて、各科目の学問としてのバックグランドを知っている講師は、指導にもそれが活かされていますし、生徒の一つ一つの質問に対してもより深い解答をすることができます。

難関大学の入試問題は、数学や理科など以外に問題文が短いことが多いですが、それは各学問分野の本質の部分をシンプルについた問題が多いからです。それらの解説をするとき、妙なテクニックやその場しのぎの解説をしても本当の理解には繋がりませんし、実力になりません。

必要なのは学問的なバックグランドを前提に解説をしてあげることが重要です。(大学レベルの解説をするということではありません)

そうして初めて、類似問題に対応できたり、本当の意味で応用が効くようになると思います。

講師はそういった能力があった上で、教え方がうまかったり、惹きつけるつける話ができたり、人格が優れていたりするのがベストだと思います。

 

話は戻りますが、当時塾では高いレベルの生徒ばかりが集まる塾はありませんでした。

したがって、どのように伝えるべきかということを非常に試行錯誤しました。優秀な生徒には生徒はわかるまでとにかく疑問を理屈でつなげて説明すればいずれ納得してくれますが、そう簡単には行かない生徒もいます。

どういう例え、具体例をすれば伝わるのか、ときには実際に実演してみたりといろいろ試して、教えながらに私自身彼らからたくさん勉強しました。

その塾では高校生のほとんどは地元の公立高校の生徒でしたが、受験ではほとんどが関関同立以上の大学に受かってくれました。