京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

2024年度 国公立医学部 志願倍率

昨日、2月2日は国公立大学の出願締切でした。

これから国公立を受験される方は、いよいよ2次試験に向けて受験大学に絞ってのラストスパートですね。合格通知が来るまで、最後まで勉強をやめず頑張り抜いて頂きたいと思います。

一方で、各大学から志願者数や倍率の中間集計が発表されています。2月2日時点におけるデータの集計を行いましたので、ぜひご覧ください。

国公立大医学部の志願倍率一覧(前期)

国公立大医学部の志願倍率一覧(前期)2

国公立大医学部の志願倍率一覧

兄弟同時に(国)医学部受験!

彼を教え始めたのは高2の冬から、理系全般を指導することになりました。

 

面談をしてみると、志望大学は関西の人にはめずらしいですが、東北大学の医学部ということでした。

しかしお母さんからはうちの子はとにかく勉強しないという相談を何度も受けておりました。実際に教えてみると、奈良学園に通っていてそれだけに地頭は良かったのですが、やはり中々勉強してくれない、そういう方でした。

 

ちなみに、お家はかなりの旧家で、少しトイレをお借りするとなるといくつも部屋を通り過ぎてやっと辿り着くほどの大きなお宅でした。

 

いよいよ高3になって、春に模試を受けたとき、現役生で仕方がないのですが、それでもあまりに悪い結果が返っていきました。そんな結果だったので私はその模試の成績表を机の真ん前に貼りつけ、剥がすなと言いました。

するとさすがにその子も少し腹が立ったようで、少し勉強をするようになってきました。

 

しかしスイッチが入ったのは良かったのですが、今度は勉強するあまり逆に学校にいかなくなってしまいました。

医学部受験は調査書を提出しなければならず、出席日数が見られるので、それはあまりよろしくありません。

ですので、勉強をはじめたのは良かったのですが、なんとか説得して学校にだけはいってもらいました。

 

そうこうして勉強をやっていくと、やはり地頭はよく、成績は順調に上がっていきました。

 

それでも現役生は毎度のことですが、物理・化学が弱く、それらはかなり苦労しました。そこで物理の弱い方にいつも進める教材として「難問題の系統とその解き方」(難系)を解かせていきました。

難系は、彼は私の授業のときしか取り組まなかったのでかなり時間がかかりました。そのせいで、理科は本当にギリギリになる始末でした。

 

いざセンター試験となると、彼はバカ取りしてかなりの高得点を取ってきてくれました。

 

私としては東北大も十分に狙えると思いました。

 

しかし東北大はセンターと二次試験の配点は1:3とあまりセンターの比率は高くありません。

また旧帝大であることや、関東圏では難易度の高い東京医科歯科などを避けて東北大を受験する方も相当数いることなどから難易度もかなり高い方です。

ですのでセンターで点がよかったからと行って、全く安心できる大学ではありません。

 

そういうこともあり、ご家庭ではせっかくのセンターでの高得点を活かせる大学に出願するべきか話し合いが行われておりました。

 

ところで、このお家には1年前に関西の私大医学部に進学していたお兄さんがおりました。その方はもともと国公立志望ではあったのですが、現役時では振るわず滑り止めの私大に進学されていました。

 

しかし環境が自分に合わないということで、たった1週間でやめて返ってきてしまっていました。

 

実は再受験するかどうか悩んでおられた時、私は相談を受けていたのですが、「再受験するならば何があるかわからないので、休学にしておきなさい」とアドバイスしていました。

そこでそのお兄さんは、単純に休学はできないので、適当な理由をつけて休学にしていました。

 

そして、このお兄さんも仮面浪人1年目としてセンター試験を受けていたのですが、これがなかなかに渋い点数でした。

 

実際のところ、ご家庭でどういう理屈でそうなったのかはわかりませんが、点数の良かった弟は徳島大、悪かった兄は浜松医科大に出願しました。

その時私はは旧家だったので、お兄さんへの配慮があったのかなと思いました。

 

弟の方は徳島大の判定が優にAラインを超えていて、二次試験で30%以上取れれば合格という、受ける前からほぼ合格の状態でした。

 

問題はお兄さんの方で、指導自体は私がしていたわけではないのですが、これから二次試験に向けてやっていくぞという時に、トラブルが起こりました。

 

調査書を請求したことがどういうわけか大学に伝わり、休学の名目が嘘で再受験しようとしていることがバレたのです。そして、大学側は国公立の二次試験の日に復学のための査問会を開くとしてお兄さんは呼び出しを受けました。

 

その時も私は相談を受けました。ご家庭は相当慌てておりましたが、私はただ「お医者さんのご家庭なのでおわかりかと思いますが、冬はインフルエンザが流行しますので、1週間外出できないなんてことはザラにありますなあ」ということを言いました。

 

そして、無事受験が終わり蓋を開けてみるとお兄さんも、教えていた弟くんも両方合格を勝ち取りました。

 

色々ありましたが、みんな受かってようやく丸く収まったなといった感じでした。

3兄弟

いつものように家庭教師センターからの依頼で面談に行くことに。

京都の有名な私立の難関進学校に通う男の子で高校3年生でした。

 

普通はこの学校の上のコースの生徒は、中学校ではクラブ活動を頑張って、高校になるとやめて学業に専念するというのが一般的です。

しかし今回の生徒は、クラブ活動にかなり力を入れているらしく高校でも柔道部で頑張っていました。

実力も中々のものらしく、スポーツクラスの生徒をも負かすほど。しかも学業もさすがは進学校というだけあってそこそこできて、なんと京都大医学部志望ということでした。

まさに文武両道です。

 

まあ、おわかりかと思いますが、京都大学医学部というところはちょっとやそっとではなかなか通らない場所です。ですので、授業が始まると基本の部分は自分で学習を進めていただき、こちらは上のレベルの問題を解き進めていきました。

 

迎えたセンター試験

センター自体ははそこそこ良い点をとってくれました。しかし京都大学センター試験の配点は低いので、それはあまり影響しません。

 

それよりも問題だったのは、彼がセンター試験前後に風邪を引いてしまったことです。

 

そのせいかどうかわからないのですが、とりあえず滑り止めで受けて頂いた私立大学が片っ端から落ちていきました。

 

お家はお医者さんでしたので、入試の日の朝、「これ一発打ってけ」と注射を打ってから受験に行ってたようです。(おそらくアドレナリン注射)

 

それでも、一向に私立大学が受からない状況が続きました。

 

普通の家庭教師ならそんな生徒を励まし次の入試に送り出すと思うのですが、東海大の受験の直前、私は彼に

「ええかげんにせえ。」

「東海は君にとったら滑り止めの滑り止めや。2日間あって1日も通らんわけがない。しっかりやれ。」(東海大学の1次試験は2回チャンスがある)

と檄を飛ばしました。

家庭教師というのは集団塾と違って一人の生徒を教えるので、当然その生徒の能力をは切り分かります。だいたい秋ごろになると、この調子で行くとこのあたりの大学に通りそうだなと検討がついてきて、直前期にはここには通ってもらわないと困る、ここは通ればいいな、などと割と生徒の行き先が予想できてくるわけです。

 

この彼の場合は、普通に考えてこれだけ私立大学に落ち続けるといいうのはおかしかったわけです。

 

しかしながら、こういう生徒は意外と結構います。

実力はあるのに本番で発揮できないタイプです。そんな生徒の問題点というのは当然学力にあるのではありません。

メンタルです。

 

試験会場に入ると周りの受験生がみんな自分より賢く見える。

いざ始まって問題を見るとこれまたどれも難問に見える。

思いつくはずの解法が思いつかない。いつも覚えていた公式が出てこない。

本当になんでもない足し算をミスる。そしてミスっていることに気づかない。

焦れば焦るほど正確性を欠いていきます。

 

彼のように柔道で鍛えられていそうな子でもこういうことは起こるんです。

ただ「努力は嘘をつかない」といいますが、これまで誠実に積み上げてきた方というのは強いものです。

 

さすがに何度受けて入試慣れしたのか、私の檄が聞いたのかわかりませんが、東海大はすんなり合格しました。

その後京大の医学部は残念ながら通らず、結局彼は現役で東海大に進学することになりました。

 

それからしばらくして成績開示があってわかったのですが、彼はトップ合格だったそうです。

受験が終わってからはのびのびとして、大学でははテニスをすると言って楽しそうに旅立っていきました。

ちなみに、進学先に柔道部の先輩がいたらしく、華やかなテニス部生活は崩れ去って、引き続き柔道を続けたそうです。しかも大会で優勝するほどやり込んでいたみたいです。

 

その後、そのご家庭にから次はその弟の指導を受けることになりました。

医学部受験の家庭教師をしているとこのように一つのご家庭の兄弟を全員指導するということもめずらしくありません。

 

弟くんもスポーツマンで彼はテニスをしていました。彼は指導開始時、お兄さんほど学力が高くありませんでしたが、それでも教育大系の高校でそれなりの学力を持っていました。

 

現役では合格できず、浪人となったとき、彼は最初宅浪したいと言ってきました。

その時点で実力は相当あったので宅浪でもいけるなと思いましたが、周りに同じ方向を向く受験生もおらず、毎日のリズムを作ってくれる授業もないとなるとそれはそれでリスクですので、一応河合塾は行っとけとアドバイスしました。

 

彼はやはり優秀で予備校が始まって夏になる頃には、偏差値70を超えるところまで成績を持っていきました。

 

そして秋になった時、ご家庭と本人と推薦入試をどうするかと相談しました。

正直私は彼だったら推薦入試は通るだろうなと思いました。

しかしながら近畿大学を除いて殆どの大学の推薦入試は専願になります。ですので受かってしまうと行かないといけません。蹴ると高校の後輩に迷惑をか蹴ることになってしまいます。

本人もご両親も受けといたほうがええやろうということで、愛知医科大を受けることになりました。

案の上、合格。

ご家庭の方は受かってしまえばもっと上を目指せたはずだと次はどこを受けようかなどと話出していましたが、それはできません。ご両親は少し不満そうではありましたが、本人はそこで満足していましたので、そのまま進学しました。

 

弟さんも無事医学部へ進学でき、次さらに妹さんがおりました。

一つの家庭で3人、4人の兄弟を全員の医学部受験のサポートをすることが多々あります。そんなとき下の子を教える頃には最初に教えたお兄さんは医師免許を取って立派に働いているということもめずらしくありません。

 

家庭教師は1対1なので相性というのがつきまとってきます。学力的なものと性格的なものと合わせて、今回の妹さんは残念ながら、私が協力させていただくことはできなかったのですが、後ほどお伺いすると、この方は推薦で金沢医科大に合格したそうです。

高校生・受験生へ、模試の受験予定を立てよう

4月に入り中学・高校生の皆さんもそろそろ始業式が近づいてきました。今年は桜が早く開花し、教室のある天満橋ではすでに散りだそうとしています。

大川沿いは毎年きれいな桜が咲き、出店も出て、観光客や花見客で賑わうのですが、ここ数年はコロナの影響で桜が咲いてもそれほど混み合っていませんでした。

そんな落ち着いた雰囲気で桜が楽しめるのもなかなか良かったですが、今年は人通りが戻りつつあります。感染には気をつけないといけないですが、やはり春になって人が賑わうのは良いものです。

 

さて、4月3日(月)から駿台・模試の春の主要な模試の申込みが開始されています。

1年間の模試スケジュールをまとめた表を以下のリンク先にアップしています。受験生・現役生はぜひ、ダウンロードして年間の模試受験を検討してみてください。

mep-jp.com

 

模試の受験について考える時、一般的には難関系の大学(旧帝大早慶、単科医大等)を受験される方は駿台の模試、それ以外の方は河合塾の模試を受けることがレベル的に好ましいです。

 

また共通テスト模試は、現状では成績・得点をそれほど重視する必要はありません。現在の学力、問題への対処能力を測ることに重きをおいて受験してください。

さらに共通テストは、長いリード文で誘導付きの問題、マークシートによる解答など特有の形式で、慣れや対策が必要です。早めに多く受験して、経験を積んでおきましょう。

医学部志望から早稲田へ

ある時、家庭教師センターから医学部志望の方を紹介いただきました。

 

今度の生徒は非常に真面目な子ではありましたが、どうしても学力が足らず、苦労しそうな予感がありました。

 

彼は語学に興味があり、高校のうち一年間イギリスに留学していました。それなりに高校生活をエンジョイされて、いざ高3になられたとき私が紹介されました。

その時、手始めに青チャートを解いていただいたのですが、これが最初から全く手も足も出ないという状態でした。

 

そこから彼にとっては地獄の日々が幕を開けました。医学部となると数学をなんとかしないとどうにもならないので、まずはひたすら青チャートを解かせました。わからない問題を潰しに潰し、ひたすら問題を解いていただきました。

 

現役、1浪はなかなか学力が到達せず、不合格。

2浪目にしてようやく青チャートのレベルをクリアできるようになり、力がついてきたことを実感し始めました。それでも成長の伸びは鈍くまだまだ見通しは明るいものではありませんでした。

 

さすがに2浪目でしたので彼も疲れてきて、私に「先生、おれが本当にダメで見込みなかったら教えてや」と言ってくる始末でした。

 

またそれを聞いてお父さんからは、「俺も4浪やった。お前も頑張れ。俺もさすがに3浪目のときな疲れて鴨川のほとりでボーっとしてたこともあった。」などと励ましになっているのかわからないを言われたりもしていました。

 

私からは、「別の道を探すなら、2浪目の今が最後やで。3浪以降は企業への就職で不利になる可能性があるよ」ということを伝えておきました。

 

彼は英語や国際交流に興味があり、これまで現役・1浪と早稲田の国際教養学部の推薦入試だけは受験していました。そして3浪目も同じように早稲田の推薦は受験することにしました。

 

その受験は出願の際に課題を提出し評価されます。そして2浪目は面倒だったのか1浪目と全く同じものを提出したそうです。

しかしなぜかそれが合格してしまいました。

 

そうすると、お母さんは我が子が早稲田に合格したと大喜びし、とたんに医学部という目標はどこかへ消えて行ってしまいました。

 

まあ医者になることだけが、道ではありません。彼は他に興味のある分野があって結果的にそこに向かうことができたので、それはそれで良かったのではないかと思っています。

ケース)読書感想文

センターからめずらしく公立中学に通う方への家庭教師案件をいただき、指導をすることになりました。

 

実家はお医者さんのようで母子家庭ではありましたが、お家はごくごく普通のご家庭というイメージでした。

お母さんは証券会社にお勤めで、ご本人は公立高校に通い公立の中学生らしくクラブ活動を活発に行っていました。

 

主に学校の授業の先取りと定期テスト対策を行っていました。

 

そんな中夏休みのある日、彼女から1冊の本を渡され、「後はよろしく」と言われました。

私が「なんのこと?」と聞くと、読書感想文の課題があるのでやってくれというものでした。

 

正直、家庭教師にとって夏休みな非常に忙しい期間なのですが、講師に宿題をやらせようとするとはなかなか根性があるなと思い、面白半分にその課題をやって見ることにしました。

 

内容な林業に関する物語だったのですが、私は散歩がてらその本を呼んで、それから色々と調べたのち、文章を書いて渡してあげました。

 

学校が始まって数ヶ月後、彼女の机の前に賞状が貼ってありました。

なんと学校内だけでなく、府内で賞を取ってしまったようでした。

正直これはやばあっと思い焦りました。

 

次の年、なぜか本人だけでなく母親同伴の上、読書感想文を書いてもらえないかとお願いされました。

何だそりゃと思いましたが、賞を取れると思わないでと伝え、控えめに書いて渡してあげました。

さすがにその年は何も賞を取ることはありませんでした。私はホッとしました。

 

その後、高校受験が近づくと、受験用の塾に通い始めて、その授業のために私の授業時間が中々取れなってきました。結局受験は塾をメインにやっていくということで、受験まで行くことなく終了することになりました。

 

その次の年の夏また、そのお母さんから電話がかかってきました。

「どうされました?」

と聞くと、お母さんから

「読書感想文をお願いします。」

と一言。

私は理系(それも主に大学受験)の講師であって、読書感想文の先生ではない。

 

そのお母さんには、学校が変わっているので、中学生のころ出した読書感想文を出せばいいんちゃいますかと伝え、なんとか回避しました。

2年分は読書感想文は書かずに済んだのでしょう。

ケース)友達のような生徒

ある家庭教師センターから体験授業の依頼がありました。

それはまず高校2年生の生徒の学力診断をやってほしいというものでした。

 

行ってみると、これがとんでもなくぐうたらな生徒でした。部活をやったり、友達と遊んだり、外では活発に活動していますが、学業に関してはできる限り怠けるという方でした。

 

しかしながら、聞くと志望校は東京海洋大学ということでしたので、ごく普通に勉強を積み上げていけば合格できるだろうということを伝えました。

 

その後、そのお母さんが私を指名してくださり、授業が開始することになりました。

私は大したことをしていなかったので、少し不思議に思いました。家庭教師センターもそのご家庭には別の講師を想定していたらしく、計算が狂ったようで少し苛立っていました。

後々話を伺うと、そのお母さんは占いに凝っており、その占い師からその家庭教師(私)は捕まえておけとアドバイスを受けたそうです。

その時は、奇妙な縁もあるものだなと思いました。

 

授業はスタートからのんびり、和気あいあいとしたものでした。彼の目標大学はそれほど難関ではありませんでしたし、それ以上のことは生徒もご家庭もとくに要求しておりませんでした。

 

授業に行くとまず、彼がベッドに横になっていて、「先生そうガツガツせんとゆっくりやりましょう」なんて言ってる始末でした。

なんというか彼は私とはすっかり友達気分で、私もそういう風に接していました。

 

ある時別の案件の体験授業に行くために別の家庭教師センターの営業の方を私の車に乗せていたとき、彼から電話がかかってきました。私は運転しながらハンズフリーでその電話をとり話したので、一部始終その会話を家庭教師センターの方が聞いておりました。

すると彼の話し方を聞いてかなりビックリされたそうで、電話が終わってから「この生徒は誰ですか?」「先生に対して敬意もへったくれもない。なんちゅう話し方や」と色々言っていました。

私はあまりそういったことを気にするタイプではありませんが、これまで家庭教師をしてて思うのは、家庭教師をうまく使うには受け身ではダメで、すこし図々しいくらいがちょうどいいということです。

 

そのセンターの営業の方はたまたま、その生徒と同じ高校出身でしたので、「彼はあなたの後輩ですよ」と教えてあげると、返す言葉がなくなったようでした。

 

後々聞いてみると、彼としては一人っ子だったので仲の良いお兄さんがほしかったようです。

 

授業では、彼の好物がタンドリーチキンだったため、途中でよく差し入れられて、毎回授業の合間に二人でチキン休憩を取りました。

 

また、あるとき別の家庭で教えていると、生徒に私のボールペンを噛まれ、くの字にボールペンが割れてしまいました。

「ボールペンがこんななってもうてん」といってそれを見せると、彼はおもむろにその曲がったボールペンを手にとり「中途半端は良くない」とバキッと割ってくれました。

 

そんなこんなで、彼の授業はほどほどに進んでいき、成績ははっきり言ったパッとしませんでしたが、必要なことはやっていたので、その分の学力は身につけていました。ただ、必要以上のことは一切やらないというのが彼のスタイルでした。

 

いざ受験の期間に入ると、お家の方は一人っ子で始めての受験でしたので、相当心配をされていました。

そこで、私は滑り止めとして関関同立は受けておきましょうと提案しました。センター利用は科目数が多いほうが倍率も下がり、受かりやすい傾向にあるので、同志社は3科目より、立命の5科目。一般入試は受験機会が多いのでなるべく広く受けていきましょうということを伝えました。

 

するとなんとお母さんは関関同立の全ての受験パターンを出願しました。

願書にはセンター利用が多すぎて書ききれず、追加で注文し、複数枚に渡って提出しておられました。

そしてそれを書かされるのはお父さんの役目でした。相当数の願書を書いておられましたが、当時は手書きでしたのでかなり大変だったと思います。また、なにしろ慣れておられなかったので、よく大学から不備がありますと電話がかかってきてそのたびにお父さんはお母さんに叱られ、少し不憫に思うほどでした。

 

一方で、それを見て受験生の彼は「あの親だからなあ」と他人事みたいなことをいっている、私は「自分の受験なんやから自分で書かんかい」とツッコミでいました。

 

結局、お父さんの努力の甲斐もあり、私立大は複数合格を取り、第一志望の海洋大学にも無事合格しました。

 

その数ヶ月後大学生になった彼から連絡をもらって、レポートがあるので手伝ってくれと言われたときはやっぱり彼だなあと笑いました。