京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

塾・家庭教師時代⑤ ー 医学部志望者が増える→塾を開く

家庭教師専業として長くやっていくと、家庭教師センターからはある程度実力を評価していただけたのか、だんだん医学部志望者の案件ばかりいただくようになりました。

 

ある時、1浪人生の依頼が来ました。その時の私のスケジュールはほぼ埋まっており、夜の9時10時からスタートでした。当然朝から、指導して回っていますので、夜にはクタクタです。お母さんはこんなクタクタな先生連れてきてどうするんだと言って怒っていたこともありましたが、こちらとしては如何ともし難い。

しかしながら、そのご家庭の案件もなかなかな状況でした。

そのご家庭は開業医さんでしたので、ご両親は跡継ぎとなるお医者さんを3人の兄弟の中から希望しておられ、占い師さんに占ってもらった結果、「上の子は自由にさせなさい。下の子2人は医者にしなさい。」と言われて、なぜかそれに従って下の子2人を医学部に進学させようとしていました。

しかも、真ん中の女の子は声優志望で、一番下の弟は漫画家志望という状況で、そもそも医学部に生徒が向いていないというところからスタートです。

お父さんが、その弟に「漫画家になりたいなら、医者になれ」と訳のわからない説得を試みているのを見たときは、子どもを手塚治虫にでもするつもりだろうかと思いました。

 

そんなこともあり、この生徒もかなり手がかかりました。

 

姉の方は、駿台ではずっとMBクラスでMAに上がれなかったので、なかなか合格できません。入試が近づいて志望校を決めるとなって呼び出されたときは、私も忙しいので夜中の1時にお宅に伺って、明け方まで志望校決めに付き合ったこともありました。

 

一方、弟は遠方の学校で寮生活をしていたのですが、見事に遊び回っており、当然のごとく浪人しました。

しかしながら、寮生活をしていると根性と生活力は身につくらしく、弟は夏休みになると私の家に押しかけてきて、勝手に夏期講習だと言って家で勉強しはじめました。

私は朝から晩まで教えに出ているので、ほとんど家にいないと言っていたのですが、その期間は私の家で好き勝手に生活し、勉強もして、私が返ってくると、ちゃっかりその日にわからなかったことや疑問点などを質問攻めにしました。

 

そんなこんなで、姉弟合わせて10浪とういうとんでもないことにはなったのですが、2人ともきっちり医学部へ行きました。

あの根性だけは見上げたものだと今でも思います。

 

またあるとき、甲陽の生徒を教えたことがありました。

彼は現役生の入試の直前で依頼が来たのですが、さすがにこれは間に合わないという状態でした。正直ポテンシャルもそんなに高いわけではありませんでした。

残念ながら現役ではうまく行かず、浪人し駿台に通うことになりました。

 

しかしながら、駿台の授業開始は4月中旬なので入試の終了から1ヶ月ほど猶予があります。

私の生徒はいつもそうするのですが、入試直後から間をおかず徹底的に詰め直して行きました。

 

おかげで、春からみるみる力をつけて成績を伸ばし、次の年は拍子抜けというほどすんなり神戸大の医学部に通ってしましました。

 

私からすれば、まあこれだけ勉強してくれればそれは通るだろうなという感じでした。しかし当時知り合いに駿台の担任の方がいて、たまたまその生徒を担当していたらしいのですが、私が家庭教師でビシバシ指導し、彼もかなりの努力家だったことを伝えると相当驚いていました。

とう言うのも、彼は私の見る限りではやることをやって努力していました彼ですが、駿台の教室ではヘラヘラ遊んでいたらしいのです。

その担任は「正直、あんなやつがなんで通るんだと思っていたが、裏でそんなことをしていたとはなあ」と感慨深く言っていました。

 

みなさんも気をつけてください。受かるやつはちゃっかりやることをやっているものです。表面的な態度に騙されないようにしてください。

 

そんな感じで家庭教師専業で、ありがたいことに日々忙しく活動させていただいておりましたが、ある年の2月23日、国公立大前期日程の前日に足の骨を折ってしまったことがありました。

普通骨をおった程度でしたら自宅療養が一般的ですが、なぜか私を観た院長先生は強制入院させました。

 

その時婦長さんも不思議に思ったそうで、あとから理由を聞いてくださったのですが、それによると折れた箇所はそれほど問題ではなかったのですが、私が当時あまりにも無茶な働き方をしていたので、その疲労困憊具合を見かねたらしく、足というよりは普通に休養をとらせるために一定期間入院させたそうです。

 

それを聞いて、次の年から私も働き方を少し見直すようになりました。

 

それでも入試の只中の生徒を放り出すわけには行きませんので、当時はギブスを巻いて、一日一番多い日で5箇所の家庭を回りました。

その時は、幸いある家庭教師センターの方が私の専属ドライバーになって全てのお宅まで車で送ってくださったのでなんとかこなすことができました。

 

そのときの仕事はそのセンターからだけでなく、他のセンターも合わせ計4箇所から仕事を頂いていましたが、ドライバーになってくださった方はすべて送ってくださり、その時は本当に助かりました。

 

その後、ドライバーしてもらった家庭教師センターが医療系の塾をやるようになり、私も授業の依頼を受けて出入りするようになりました。

しかしながら、その塾はもともと家庭教師センターということもあって塾としてのノウハウが全くなく、ほとんど部屋を貸しているだけのレンタルルーム状態でした。講師と生徒の引き合わせて授業を設定するだけで、あとは全て講師におまかせ、まるで塾の体をなしていませんでした。

 

当然そんなところから合格者が出るはずもなく、その塾に通っていた一人の生徒の親が怒って塾に乗り込んでくることがありました。

正直言って仕方がありません。

その塾の方々が慌てふためいているときに、私はたまたま居合わせて、なぜか頼み込まれてその方の対応に交じることになりました。

 

そのお父さんの話を聞いていると主張は全くの正論で、私はその塾からの恩もあったので、その生徒の担当を引き継ぐことにしました。

それと同時に、その塾の形をある程度整えることにし、最低限早朝テストや成績管理、面談対応などを導入していきました。

 

するとそれだけで、生徒の成績が上がるようになり、まずはポコポコと私大医学部の一次合格をいろんな生徒が取ってくるようになりました。(講師のラインナップはかなりいい先生は揃っていたのは確かです。)

 

そしてクレームをつけたご家庭の生徒も無事、大阪市大(現大阪公立大)医学部医学科へ合格しました。

 

私がこれまでさまざまな家庭教師センターや塾、特に医学部予備校を見て思うのは、広告をガンガン打って、きれいで広い教室を備えたところも蓋をあけてみるとすっからかんというところが少なくないということです。

現在、私も大阪で塾をしていますが、それはこういった経験がベースにあります。