京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

塾・家庭教師時代② ー 京都の難関塾で人気を得る

地元向けの塾でそうこうしているうちに、その塾を紹介してくれた友人が別の難関系の塾の募集を見つけて一緒に応募しようと誘ってきたので、面接を受けに行くことになりました。(しかしなぜかその誘った友人は当日受けられなくなったので、私一人で面接を受けた)

 

面接では、めずらしく模擬授業を求められました。その時私は、前日がほぼ徹夜状態で頭が全く回らなかったため、これはなにかネタをかますしかないと思って、授業で冗談を言いまくる作戦を実行しました。するとそれがたまたま大受けして、塾長が笑い転げ、一発採用となりました。

 

塾では主に京都の私立高校生が多く、洛星・洛南・ダム女の生徒まで幅広く担当しました。

そこでは幸い生徒からそれなりの人気得られました。よく高校の近くへビラ配りにいくと塾の生徒がたくさん集まってきて、ちょっとした人だかりができるくらいでした。毎年、生徒が文化祭にも呼んでくれて足を運んだりしていました。

 

その塾は、以前の塾よりも生徒のレベルが上で、受験でも高いところを目指す方が多く、塾にかける期待や熱意も当然、生徒・家庭含め大きかったです。

 

クラス分けテストをしてときには、下のクラスに落ちた生徒のお母さんから電話がかかってきて、上のクラスになんとか上げてくださいと頼み込まれることが結構ありました。

私はあくまで公平性の観点から構わず落としていたので、そのまま塾をやめる生徒も多かったです。

 

その塾では教えるだけでなく、教室運営に関してもかなりの部分担うようになりました。

 

ある時期、講師募集で新聞に募集広告を出しました。そして、応募してくれた講師は私が面接をしました。

 

その際、私がされたように必ず模擬授業を要求し、数学講師は直近の京大の問題をどれでも良いので解説を行ってもらいました。すると、関西なので数学の講師なら直近の京大の問題はだいたい解いているものだと思いますが、どの講師も揃いも揃って解説するのは第一問で、しかも全く同じやり方で解説をしてくれました。その解答方法は、当時代ゼミ一般公開していた解答例です。

 

そこで「このやり方はちょっと癖が強いので、わからない生徒が多そうです。別のやり方だとどう教えますか?」と私が聞くと、他のやり方を教えてくれた講師は一人もいませんでした。

その結果、私はその時応募してくれた講師の方を全員不採用にしました。

(不採用を伝える時、忍びなかったのでご飯をおごりながら伝えていたのですが、さすがに結構な人数がいましたのでかなりお財布がこたえました)

 

すると当時の塾長は、当然広告費もかかっていたので焦って私に詰め寄ってきました。私は理由を説明してつっぱねましたが、とはいっても当時講師が不足していたので、当面は大学院生を採用したりしてなんとか急場をしのぐことになりました。

今思い出すと、私のプロ講師に対する求める要求は割と最初から高かったようです。

 

その塾では、それから運営面でもかなりの役割を任されるようになりました。当時はもう個人で家庭教師もやっていたので、すでにハードな生活でしたが、さらに滋賀の校舎長も任されるようになって、京都から朝8時に西宮まで授業に行き、さらに折り返して滋賀の校舎長をするというわけのわからない生活になってしまっていました。

その上前職が銀行だったこともあって、IPOの手伝いもさせられるようになり、講師として活動するという目的と離れていったため、その塾からは離れることになりました。