京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

京大時代① ー 勉強が何たるかを知る

私は晴れて京都大学に入学しました。
 
胸を踊らせ教室に入り、周りを見渡してみると、当時理学部の授業の教室の大半は浪人からの合格者だったので年上ばかりでした。そして彼らは自分よりめちゃくちゃ賢い人ばかりでした。
 
現役で本当にギリギリすべりこんだわたしとは比べ物にならなかったです。そして京大ならではの曲者ぞろいでもありました。
 
ある日、授業のなかでAGPやADPという単語が出てきて、隣の学生に「これなに?」と聞いた時は、「こいつこんなこともわかりおらへん」とでかい声で笑われました。今から思うと、周りの浪人生は苦学して入学してきた方が多かったので、運良く現役ですっと入れた私は鼻についたのかもしれません。

大学の授業がわからなくて焦る

京都大学は今もそうですが、比較的公立高校出身者の多い大学です。その後、最初にできた友人は愛知県の出身だったのですが、それも私と同じく公立出身でした。
 
出会いが人を変えるといいますが、私は彼にかなり影響を受けました。これがまためちゃくちゃ真面目な学生で、ノートのとり方から学習量まで学生の鏡みたいなやつでした。それを見て自分も勉強しなあかんと危機感を持ち出しました。
 
とはっても、ギリギリ合格の私にとって大学の授業は最初から「?」の連続でした。今でもあのときの焦りを思い出せますが、大学での初回授業が電磁気学だったのですが、積分記号が二重になったものやグラディエントといった、これまで見たことのない数式が普通に出てきます。事前に説明があるわけでもありません。当然全く解けない、わからない、手も足も出ないという有り様でした。
 
その時気づいたのは、高校のカリキュラムというのはなんと親切なものだっかということです。物理では数学で積分を習うまで積分を避けて力学を教えてくれますし、波のところでもちゃんと三角関数を教えてからにしてくれます。文部省は懇切丁寧なカリキュラムを敷いてくれていたのです。
 
それは物理の授業でしたが、まずは数学をなんとかしないことにはこの先やっていけないと悟り、1回生はとにかく数学に取り組むことにしました。

勉強は自分でするもの

そこでまず私は、これまでそうしてきたようにわからない部分を教授に聞くことにしました。するとその教授には、質問をしたことに対して、叱られました。
「君は勉強を教えてもらうつもりか?」
「勉強は自分でするものであって教えてもらうものではない。」
「わからないことがあったらとさっさと図書館にいけ。」
と言われました。
 
それを聞いて最初は「文字通り"教え授ける"のが教授の仕事で、それで飯食ってんのちゃうんかい」と腹が立ちました。
 
また「答えはありますか?」と聞いたときには「答えなんかいるの?」といわれ、問題の答えすらないもらえませんでした。大学で勉強していく中でわかったことですが、大学の授業に「答え」なんてものはありませんでした。
 
結局教えてもらえないのならば仕方がないので、私はその教授の言うとおりに図書館に入り浸って勉強することとなりました。
 
1回生の間はとにかく真面目に勉強しました。まず、先輩からどんな順番で学習を進めたら良いのかを聞き参考書リストをもらいました。そしてそのリストの上から順番に学習を進めていきくことにしました。
 
大学受験よりはるかに勉強量は多かったです。しかも、教えてくれる人がいないためひたすら図書館で本をあさって勉強する日々です。ときに壁にぶつかるとテキスト1ページに何日もかかることがありました。わかるまでひたすら考え、そして考えて考えて学習が進めば進むほど、さらにわからないところも増えました。それでもさらに調べて考える、の繰り返しです。
 
そうしているうち、本当の意味で私は教授の言った「勉強は自分でするものだ」という言葉の意味を理解しました。