京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

定員割れの公立高校から京大に現役合格した話③

いざ受験

さて受験の前日は、高校の卒業式でした。高3の冬になり駿台の授業もなくなって、家に引きこもって勉強していた私もさすがに卒業式には出席しました。
 
しかしほとんど外出していなかった人間が冬に突然外出するとろくなことになりません。当時の公立高校にまともな暖房設備などありませんでしたし、卒業式が開かれる体育館のようなだだっ広い空間はなおさら寒かったのです。
 
当然風邪を引きました。そして翌日は京都大学入試。
 
熱と咳に苦しめられながら起床し、正直行くか迷いましたが、なんとか入試会場に向かいました。
 
ちなみにつまらないことですが、私は京都大学に受かるまでは鴨川から東には行かないと決めていたので、入試日に高校入学後初めて鴨川から東に行きました。
 
入試会場は幸い暖かかったのですが、風邪を引いた体で熱気のこもった室内に入るとめちゃくちゃむせました。そしてめちゃくちゃ咳き込みました。初日はとにかく咳が止まらず、1時間目の国語では頭がボケながらも、なにか書かなくてはと、代ゼミのテクニックを思い出しながら必死に解答欄を埋めました。
 
2時間目の数学は、あとから知ったのはこの年は難問だったみたいですが、サッパリわかりませんでした。2時間のうち、1時間半何も書くことができずに時間だけが過ぎていきました。それでもなんとか形だけでも作ろうと試みるも、うまく行きません。しかし、風邪のせいか、切羽詰まりすぎたせいか、その時逆に冷静になることができ解答欄を見直した時にふといつも間違えるパターンがあることに気づきました。いつもやるミスを入試でもしており、それに気づけたおかげでなんとか2問解き切ることができました。
 
2日目の1時間目は英語。高3から長文を本格的に読み始めた私はN先生を恨みながら、ずっと長文読解に苦手意識を持っていました。
 
ところが入試会場ではじめて自分がなぜか読めることに気がつきました。その時は非常に不思議でしたが、今思うとN先生のスパルタ授業のもと文法と単語・熟語を徹底的に学習していたのが、英語力を底支えしていたのだと思います。文法や単語などは英語の構成する最低限の材料なので、それを知らないと読解なんてできないのは当然なので、N先生はそれを高2までの間に叩き込んでくれていたのです。
 
英語の指導法に関しては、読解を重視して文章から単語を覚えていったり、短文をたくさん暗記したり、様々なやり方があり、どれが正解というものではないと思いますが、当時の私はN先生のやり方のおかげで英語の基礎が身についていたのです。それから高3に駿台に読解を始めたため、修得がとても早かったのです。
 
入試会場でそのことに気がつき、私ははじめてN先生に感謝しました。
 
最後の科目は理科でした。忘れもしません。私が京都大学に合格できたのはこの理科のおかげです。
 
私は入試が始まる直前まで、科学の参考書を眺めていました。有機化学の反応系統図です。
 
いざ試験が始まり、ざっと問題を見渡してみると驚きました。数分前に見ていた内容がそっくりそのまま出題されていました。こんなことがあるのかとびっくりしましたが、私は忘れないうちにその問題を解き切り、丸々大問1つゲットしたのです。
 
そうして試験行程が全て終了しました。

合格発表

合格発表日、当時は合格者の発表は大学構内の掲示でしたので確認に向かいました。試験の日が踏んだり蹴ったりだったので、私は当然落ちるものと思っていました。
 
ですので、帰りに予備校で入学の手続きをするつもりで、親から入学金をもらい、それを持って合格発表の確認に行きました。
 
番号を若い方から目で追っていくと、まさかの合格。
 
そのときは頭の中がかーっとなってふわふわとしたなんとも言えない感覚になりました。そして、古く趣ある京大の校舎の中をふらふらと歩き回って帰りました。
 
あのときの浮ついた感覚は後にも先にもあの時だけでした。
 
あとで思い返してみると私の前後数十番は全く番号がありませんでした。おそらく私が会場で、ドでかい声で咳ししまくったせいで、周りの受験生は集中できなかったのかもしれません。
 
大変気の毒です。
 
家に帰って報告し、ウシに予備校の金を合格祝いでもらっていいかと聞くと、「いいわけあるか」と叱られました。