京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

定員割れの公立高校から京大に現役合格した話②

そして駿台

N先生の授業が終わって途方にくれた私は、高3から高校の中でも有名だった駿台に入ることになりました。
 
高校でワイワイガヤガヤと楽しくやっていた仲間が、駿台ではめちゃくちゃ真剣になって勉強していることにびっくりしました。カルチャーショックです。高3ということもあって成績にシビアでピリピリした感じでした。他のみんなは高1や高2から始めていたので、高3からの私はクラスでほとんど爪弾き状態でした。
 
それでも、構内テストでいい成績を修めると、途端にみんなの見る目と態度が変わったことが印象深かったです。
 
しかし肝心の授業では、英語は長文や構文解析などをメインにする駿台の授業に最初全くついていけませんでした。
 
それもそのはず、私はN先生の授業では文法と単語・熟語しかやっていませんでした。そのとき「なぜ文章の読み方を教えてくれなかったのか」とN先生をめちゃくちゃ恨みました。英文読解は高3で駿台に入って始めて本格的にやり始めることとなりました。

理科がわけわからん

私が最も苦労したのは理科でした。特に進学校でもない普通の公立高校でしたので、理科が始まるのは高3になってから。当然そんな授業で間に合うはずがないので、学校へは殆ど行かず、出席日数だけ考えて3限・4限だけ出席して帰るということを繰り返していました。
 
ちなみに名目的に病欠としていたのですが、あまりに休みが多いので、意地悪な(真面目ともいう)英語の先生が、診断書をよこせと言ってきたことがありました。その時は理解のあった担任の先生がなんとか収めてくれました。昔は今ほどガチガチではなかったので何かと融通を利かせてくれることがありました。当時の担任の先生には本当に感謝です。
 
学校を抜け出して、私はほとんど駿台に入り浸り、理科もほぼ独力で進めていきました。
 
化学はなんとかやっていけたのですが、物理だけは本当にどうにもなりませんでした。当時は、今こうして人に物理を教えているなんて想像もしなかったです。
 
最初の力学はなんとか理解できましたが、エネルギーになった瞬間さっぱりわかりませんでした。成績は急降下し、物理のテストはついに0点をとりました。友達や先生に良い参考書がないか色々と聞いて試したりしましたが、あまりにも意味がわからないので、意を決して駿台のM先生に聞きに行きました。
私「物理がわかりません。」
M先生「何がわからんのや?」
私「最初から最後までさっぱりわかりません。まるで外国語です。」
そういうと、M先生は頭を抱えて、それはそれは"ありがたい"精神論を述べてくれました。
 
結局どうにもならず時間ばかりが過ぎて秋になった時、仕方がないので正攻法を諦め、実戦問題から解いていくことにしました。今でもよく使われる、『難問題の系統とその解き方』を物理0点の人間が1からはじめました。今から思うと無謀です。
 
しかし不思議なことにある程度進めていくと、ふとしたある日突然わかるようになったのです。前日までわからなくてうーうー唸っていたのに、ある日目を覚ますと突然パッとわかるようになりました。その時気づいたのは、物理という学問はわからないときは思っていたほど複雑ではなく、非常に単純にできているんだということでした。
 
化学はというと、最初原子モデルの太陽系の形の意味がさっぱりわかりませんでした。そしてこれは学校の先生に聞きに行ったのですが、その時たまたま担当の先生がおらず、若手の初対面の先生に聞くことになりました。それが逆に良かったのか、まだ若かったその先生はわざわざ定期的に時間を作って教えてくれました。そのおかげで化学は徐々に理解していきました。化学はその若手先生に聞いたり問題集をやったりしてなんとなりました。若手先生にも本当に感謝です。
 
国語はとにかく小手先のテクニックでなんとかすることを心がけました。駿台の授業では「筆者の言いたいことをつかめ」と本質的な読解力を重視してそうな授業だったのですが、とにかく時間のなかった私はその授業を諦めて、代ゼミの参考書で学習しました。その参考書はある程度システマチックに読解を行うテクニックが書かれていたので、表面的でもなんでも得点できるようにとトレーニングをしました。それには一定の効果がありました。
 
しかし、今考えると理系の受験生なんて正直国語はみんな不得意なだけだったのかも知れません。優秀な生徒諸君はしっかり「筆者の言いたいことをつかむ」ことをしてください。