京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

ケース)今年の入試は間違っても通さないで

依頼が来たのは、センター試験(現共通テスト)が終わった直後でした。

当初聞いていたのは神戸大の工学部志望。

高3生で、その年のセンター試験の成績はいまいちぱっとしないものでした。

 

最初の面談ではやれるところまでやりましょうかということで、国公立二次試験に向けて1ヶ月、開始しようかとまとました。その帰り際お母さんにちょっとちょっとと呼び出されました。そして

「先生お願いがあるのですが、今年の入試は間違っても通さないでください。」

と言われました。

 

家庭教師をやってきて、「なんとか通してください」これまでさんざん聞いてきましたが、こんなことを言われたのは初めてでした。

 

まあ簡単な話、お医者さんのご家庭にあることなのですが、希望としては医者の道に進んでほしいというのがあったようでした。

 

お母さんが言うには、

「じっくりと考えた上で、工学部を選ぶのであれば構わない。何がなんでも今すぐ医学部を受けなさいと言うつもりはありません。」

ということでした。

 

まあ、そもそもそのときのセンター試験の点数では頑張ったとしても、神戸大学工学部は厳しいだろうなと言う見通しだったので、何が変わるでもなく普通に指導しました。

結果は残念ながら?不合格で、浪人することになりました。

 

浪人に際して、彼は友人と一緒に河合塾の入塾テストを受けに行ったのですが、友人が医学部向けのコースをこぞって受けていたので彼も医学部進学コースのテストを受けました。すると、他の友人が落ちる中なぜか彼だけ医学部コースの認定が降りて、またそれがきっかけで完全に彼の興味が医学部に向き、医学部志望になってしまいました。

 

お母さんは時間が経てばいずれこうなるということを見通していたのでしょう。そのときやはり「親は一枚上手だなあ」と思いました。

 

それから3月に河合塾の授業が始まるまでの約1ヶ月間、これまでの生徒と同様にきっちり基礎固めをしてもらうことにしました。

彼は基礎がまだまだだったこともあり、ここは入念に行いました。

 

春授業が始まってからも、予備校の復習などフォローをまずは行い、それから弱い箇所や足りないことを埋めるよう指導を行いました。

 

その甲斐あって、春の模試では偏差値70を出してくれました。

しかしそれでも一筋縄ではいかないのが浪人生の受験です。

 

彼自身もそれはよく理解していました。良い成績がでても緩むことなく、

「俺たちはプロペラ機で、灘や甲陽のやつらはジェット機。いくらプロペラ機が必死で飛んだところで、ジェット機は後から目にも止まらぬ速さで飛び去っていく」

といっていました。

 

そして、後期になると成績は徐々に伸び悩んでいきました。

 

これは河合塾に通った生徒からちょくちょく聞くことなのですが、河合塾は人間関係がややこしくなりがちなようです。面倒くさい人間関係のいざこざに巻き込まれて、勉強とは別のところで足を引っ張ってしまうのです。その生徒も悩んでいました。

正直、予備校で何やっとんじゃいと呆れましたが、済んだことは仕方がありません。

 

ついには国公立大を受けるにはちょっとという成績にまで落ちて、本人も相当にショックを受け、悩んでいました。

 

本人はそこでお母さんに相談したらしく、

「この調子やと、国公立に行けへん。どうしよう。」

すると、お母さんは

「国公立がそんなにしんどかったら、私立にしたらええやん。」

と一言、本人が

「そうやなあ」

と同調すると、お母さんはおもむろにタンスの戸を開けました。するとそこには主要な私立大の赤本が一式ずらーっと並んでいたそうです。

 

それを聞いて、改めて「母親は怖いな」と思いました。

そのお母さんは子どもの賢さや忍耐、性格を正確に認識されていて、最後はこうなるということを完全に予測していたようでした。

 

本人はそれから目標が定まったらしく意識がまた変わってかなりやる気を出すようになりました。

 

それからの勉強は大量にある過去問を1から解いていくことに重きを置き、河合塾の方はほどほどにこなしていきました。

問題は私が簡単な問題からピックアップして、順序を指定しながら進めていきました。これがかなり実力に結びつきました。

その代わり一度彼の授業に行くと、質問回答や解説でなかなか離してもらえず、毎回かなり長引くようになりました。

 

ある日彼の授業をしていて、次に19時半から別の所で授業があるのに、例のごとくなかなか離してもらえないということがありました。

 

すると、さすがに私が

「もうそろそろ」

というと、彼は

「次に授業があるんか?」

と聞いて来て、

「実はあるんや、そろそろ行かなあかん」

と答えると、

「いま何年?」

とまた聞いてきたので

「高2」

と答えると、

「高2?、そんなんまだあと1年あるやん。俺らはもう背水の陣どころかもう水に使ってるんや。そんなん10時にしてもらえ」

と言ってきました。と同時に

「高2の頃は楽しかった。あの頃に戻りたい。」

としみじみ言っていて、それを聞いてなかなか仕上がってるなあと思いました。

 

入試結果は、ジェットコースターでした。

あまり難関の大学選ばなかったのですが、受かったり落ちたり、それが大学の難易度に関わらず起きました。

私の経験の中では、河合塾に通った生徒はこういう結果になることが多いです。

 

入試の期間で、彼らしいなと思ったのは、藤田の二次試験を受けに行った時、面接で「医療事故を起こしたらどうしますか?」と聞かれて、彼は「保険に入っておきます。」と答えたらしく、面接官にボロクソに叩かれたそうです。

現実にはそれはそうやけど、今それを応えたらあかんやろと。

ただそれでも、補欠合格は取ってきました。

 

最終的には近大に合格し進学しました。

彼の当時の実力としては上々の結果だったと思います。

 

ちなみに国公立大には未練があり、前期は浜松医科大を受けましたが、残念ながら散ってしましました。