京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

ケース)国公立単科医大志望、浪人生先行逃げ切り型の理想例

依頼が来たのは、1浪目の秋の頃でした。

お医者さんのご家庭というわけではなく、ごく普通のご家庭。

私大は難しいということで、志望は国公立だったのですが、なぜか単科医大志望。(単科医大は国公立の総合大学に比べ、難問が出題されます)

 

学力をみてみると、京都の名門進学校に通っているだけあり、ポテンシャルは感じましたが、秋ということもあり時期的に厳しい状況でした。

 

面談が一段落し帰り際、ちょっとちょっととお父さんに呼び出され、「間に合いますか?」と率直に聞かれました。でしたので「正直、今年は間に合いそうにありません。」とはっきり応えました。

生徒本人に伝えるかはともかく、ご両親は先々の結果に応じて選択肢を検討する必要がありますので、正直ベースで話し合うことが必要だと思っています。

 

それからやれることはやって入試を迎えましたが、やはり合格までは至らず、2浪することになりました。

 

3月13日国公立大後期日程の翌日、彼から電話がかかってきました。「先生、もうあきません」と試験の手応えを見て落ち込んだ様子でした。

 

そうなって初めて彼にまず伝えたことは、国公立の単科医大に志望というのは非常に難しいということです。

また取るべき作戦としては、前期で単科医大を受け、私大の滑り止めがない分、国公立後期を滑り止めにしようということでした。

国公立の後期試験はセンター試験(現共通テスト)の配分が大きい大学がほとんどなので、センター試験で高得点を叩き出し、その後の合格判定システム等で確認して後期は安全圏に出すというシナリオを目指しました。

 

そして、この作戦もかなり厳しいものになるとわかっていたので、私は彼に駿台の次年度授業が始まるまでに、かなりの負荷を課していきました。

 

旺文社の標準問題精講の数学3冊、理科2冊の計5冊を駿台の授業が始まる一ヶ月以内に全てやるよう指示し、授業でそれをチェックしていきました。

 

彼は授業が始まる頃には「ここのところ、太陽の光を見ていない」とすでにかなり応えている様子でしたが、私はそれまでの学習でかなり手応えを感じていました。

 

通う予備校に関しても、駿台の大阪校に通ってもらいました。大阪校まで行くのには大阪の都心部を突っ切ってもらうことになるので、朝などは通勤で忙しないところを通ってもらわないといけなかったのですが、私は「駅のホームでも電車の中でも関係なく勉強し続けられる根性持たんとあかんで」と発破をかたりして、彼もそれを迷わず実行してくれました。

 

そうやって、春からフルスロットルで学習をしていただいた効果は絶大で、駿台では上から12番目の成績まできました。

 

予備校の授業はうまく吸収してくれていたので、あとは単科医大に合わせて対策を取っていくとうまくいくと感じ、夏以降は単科医大対策を詰めていきました。

 

単科医大はなんと言っても難問系がどっさり出るので、ひたすら難問を解いていってもらいました。その他の対策はとりあえず棚において、難問対策です。

 

その後は特に言うこともなく、センターでは予定通り良い点を取ってくれて、すんなり前期で奈良県立医大に合格しました。

 

この生徒の例は浪人生の理想的な戦い方です。浪人生は春の模試ではいい成績が出ます。それは春は現役生がまだまだ仕上がっていないので当然なんです。しかしそこで余裕こいていると、後半かならず現役生が追いつかれ抜かれてしまうのです。

基本的に浪人生は春の模試が1年で一番いい成績だと思ってください。

 

前年の努力を無駄にせず、春のうちに実力を上げきってしまうことが浪人生の成功の一番の秘訣です。