京大・阪大・医学部受験のあれこれ

京都大学大学院卒のプロ講師・家庭教師によるブログ

京大時代② ー 家庭教師を始める

そして、夏休み。
 
ほとんどの学生は他の地方から出てきている人だったので、みんな帰省していきました。一人地元の私は暇になったのですが、友達から紹介されて家庭教師を始めることになりました。それが現在までやっている講師・家庭教師の始まりです。
 
学生ながらやはり京大生は重宝がられ、夏休み期間は色々な人から引き合いを受けて教えに行きました。だいたいの生徒は夏休みが終わるとともに終了しましたが、滋賀の塾だけは夏休み後も来てほしいということで、秋の学期が始まってからも続けることになりました。

一風変わった生徒、教えることの醍醐味を知る

その塾では普通の高校生だけでなく、様々な境遇の人が生徒としてこられていたので、とてもおもしろい経験をさせてもらいました。
 
始めに担当したのは元テニスのインストラクターの方でした。私が勉強を教えると同時に、その方から女性の口説き方をひたすら教えられました。
 
次に来たのは、元自衛隊員の方で、一般企業向けの就職支援でした。その方は非常に真面目な方でしたが、当時学生の私より遥かに年上で、一生懸命使い慣れない敬語とデスマス調で教えました。
 
その方には、無事就職試験に合格できた後、お礼ということでなぜか比叡山に連れて行かれました。さすがは元自衛隊の方で、登山道もない道なき道を行きます。しかも前日は雨が降っていたため道はぬかるみ、まともな装備を持っていない私はスニーカーで死ぬ思いをしながら、元自衛隊の元生徒に必死についていきました。(その方は非常に立派な登山靴を履いていた)
 
その後、大津の塾の生徒がいなくなり、塾長が宗教にハマりはじめて勧誘をし出したので、「これはやばい」と思ってやめることになりました。後からその塾を紹介してくれた友人に聞くと、その友人もそのことを知ってやめていたようです。
 
それでも大津の塾では、人に教えることの醍醐味を教えていただいたと思います。様々な人との出会い。その人の人生の道を開く手伝いができること。そしてその喜びを一緒に味わうことができること。
 
これまで自分が勉強することしか関心がなく、人に教えることに何ら興味がなかった私ですが、夏休みから家庭教師を始め、生徒をもったことで、「教えること」の面白さをはじめて知りました。

友人宅に居候、数学に目覚める

大学では、秋以降になるとひたすら友人の家に転がり込むようになりました。その友人はバルーン部というものに所属していました。いつも夜明け前には家を出発して琵琶湖へ行き、大津側からバルーンを飛ばして、草津側に降り立つという早朝の活動をしていました。
 
ですので私は、朝未明に彼を「いってらっしゃい」と見送り、もう一眠りしてから起床しかれの部屋でくつろいでいました。彼の書棚から本をあさって読んだりして、帰ってきたら一緒に飯を食べたりなどしていました。
 
1回生は春から必死に勉強したおかげで、秋には先輩の参考書リストの勉強はかなりの部分が進んでいました。彼が活動にでかけているとき、ふと彼の書棚を見ると、その参考書リストの下の方でまだ私が持っていなかった本を彼が持っていることに気づきました。
 
私はその本を手にとって彼が帰ってくるまで読みました。それは海外の研究者が書いた複素解析の翻訳で、今でも定番の本なのですが、私ははじめてそこで複素数というものに触れました。(当時は高校課程に複素数がなかった)そこで、複素数の数学としての美しさに魅了されました。それが原因で2回生は数学にのめり込んでいくことになります。